日本メーカーとしての「マランツ-Marantz-」ブランドストーリー
マランツの伝説的銘機と言えば、真空管プリアンプ「#(モデル)7」、真空管パワーアンプ「#9」、FMチューナー「#10B」の、この3つを挙げる人は多いだろう。実際、中古マーケットでもオーディオマニア間で高値で取引されている。
しかし、こうした輝かしい実績のあったマランツ・カンパニーだったが、#10Bの開発費に資金を使い過ぎて経営難に陥る。そして、そんなマランツ・カンパニーは、スーパースコープ社に買収されてしまう。
今回は、スーパースコープ社の最初の買収劇から、日本のオーディオメーカーになった現代までの「マランツ・ブランドストーリー」後編。
目次
- スーパースコープ社の「マランツ」
1-1.最初の買収
1-2.マランツアンプの第二期黄金時代
1-3.マランツ7の変遷 - フィリップスの「マランツ」
2-1.二度目の買収
2-2.フィリップス、CDを開発
2-3.フィリップスの、マランツのアンプ
2-4.二つのマランツ - ディーアンドエム・ホールディングスの「マランツ」
3-1.三度目の買収
3-2.ホームシアター事業への本格参入 - まとめ
1.スーパースコープ社の「マランツ」
1-1.最初の買収
1961年に、アメリカにて開始されたFMステレオ放送。これに対し遅れをとったマランツが、高周波のエンジニアとしてリチャード・エクセラを採用し、挽回を図る。そして、マランツ初のFM専用チューナー#10が発売に至るわけだが、それはFM放送開始の翌年だった。#10Bに至っては(#10Bは#10の改良型。マランツ史上にとどまらず、オーディオ史上最高の銘機とも呼ばれている)、発売は1964年だった。
こうした出遅れに加え、#10Bへ開発費をかけすぎたことが資金難を招き、ソウル・バーナード・マランツはマランツカンパニーの一部をスーパースコープ社へ売却する。スーパースコープ社は、アメリカでソニー製テープレコーダーなどの輸入販売を行っていた会社だ。そして、マランツ自身も1967年には退任し、それ以降、マランツブランドには一切関わることなくこの世を去る。]
1-2.マランツアンプの第二期黄金時代
1-2-1.マランツ初のソリッドステート式プリアンプ「#7T」
スーパースコープ社の当時の社長はジョセフ・タシンスキー。ユダヤ系アメリカ人の彼は音楽愛好家で、アメリカに1937年から1954年に存在したオーケストラ「NBC交響楽団(シンフォニー・オブ・ジ・エアの前身)」の元メンバーだった。
そんなタシンスキーのもと、マランツ事業は総合音響メーカーを目指し拡大路線へと舵を切る。時は真空管からソリッドステートへと移行していく時期だった。そして1965年、#7が製造中止となったその年の秋に、新しいマランツはソリッドステートアンプ第1号機となるプリアンプ「#7T」を発表する。歴史的銘機「#7」の回路設計を基本的にそのままトランジスター化したプリアンプだ。イコライザー部、電源部、フラットアンプ部等、5枚の金属板にスタッドを立て部品が両面に配置されており、トランジスタは真空管の様にソケットに差し込まれていることから外観は#7とはあまり変わらないが、ソリッドステート式アンプである。
しかし、この#7Tは大きく人気を博したが、マランツ・カンパニーの#7Cの評価を超えるには至らなかった。
1-2-2.マランツ初のソリッドステート式パワーアンプ「#15」
パワーアンプのソリッドステートモデルは、1966年発表の「#(モデル)15」が最初である。モノーラルパワーアンプを2台横に並べ、1枚のフロントパネルに取付けたデュアルモノーラル構成だった。
そして、この#15が1969年、デュアルモノーラル構成パワーアンプ「#(モデル)16A」となる。
完全なデュアルモノラル構成で、背面の電源コードも左右チャンネルで独立。これにより、各チャンネル間の相互干渉の排除に成功。また、トランジスタアンプによく見られる鋭いクロスオーバーノッチの除去も行われており、一方で、VOD(バリアブル・オーバーラップ・ドライブ)回路を採用することで、トランジスタやスピーカーの故障を防ぐ仕様となっている。
高耐圧デバイスが得られなかった当時、ダイナミックレンジを確保するための異極性トランジスタをミックスさせた構成はまさに画期的な手法であり、非常に優れたパワーアンプだと評判になった。
周波数特性は、10Hz~60kHz ±1dB。混変調歪率は、0.1%以下。外形寸法はW391xH146xD203mm、重量14.5kg。販売価格は232,000円。
1-2-3.その他のUSマランツ
1971年、マランツ初の一体型のステレオパワーアンプ「#(モデル)32」が誕生すると、同年立て続けに、#(モデル)240とパワーメーター付きの「#(モデル)250」が発表された。両モデルとも、回路構成には差動増幅・純コンプリメンタリー・全段直結OCL回路を採用し、そして、差動増幅段にもプッシュプルの出力段にも、選別された完全ペアのトランジスタを搭載。さらに、従来のハイパワー機では、小レベル再生時にB級に近い状態で動作していたため、トランジスタ特有のノッチング歪などが発生していたが、#240と#250では充分なアイドリング電流によりAB級動作をさせ、フィードバックなしでも通用するほどの優れた裸特性を実現している。金額は#240が195,000円、#250が245,000円。そして、この#250は、強制空冷式の「#(モデル)500」に発展し、後の「#(モデル)P510」に引き継がれてゆくこととなる。
一方で、こうしたハイパワーを特徴としたパワーアンプに対応するプリアンプも、同時期に続々と登場した。まずは「#(モデル)33」である。スライド式トーンコントロール等、コントロール機能を組み込んだプリアンプだ。低レベル増幅段にはICを使用しており、高い信頼性と性能を担保している。
この#33は、やがて「#(モデル)3300」へと発展し、最終的には「#(モデル)P3600」を迎えるに至る。#P3600はマランツアンプの第二期黄金時代を飾る銘機として名高く、#520の相棒として人気だった。
いずれのアンプもコントロール・コンソールタイプで、そして、これらのアンプは全てアメリカで設計生産されており、一般的にはここまでが「マランツアンプ第二期黄金期」と言われている。
1-3.マランツ7の変遷
一般的に、マランツ7と言えば「#7C」である。
しかし、マランツ7はあまりに人気が高かったため、1959年に#7が発売されて1965年に製造が中止された後、同じ年にすぐ#7T(ソリッドステート型)が発表され、さらに1979年には、25周年記念としてマランツ#7のキット仕様「#7k」が発売された。
※ちなみに、この時は#7k(200,000円)と同時に、#8Bk(200,000円)、#9k(300,000円)の レプリカキットが発売されている。
さらに、経営がスーパースコープ社から他社へ移行しても、移行先の会社が#7レプリカ(完成品)やリミテッドバージョンの#7SEを発売している。
1-4.スピーカー部門への進出
スーパースコープ社の社長・タシンスキーは、スピーカーにも関心があった。そこで彼は1969年、三菱電機に依頼して「インぺリアルシリーズ」の発売を開始する。そのため、初期のImperial 1~5は三菱のOEM製品であり、外観・構成ともに、当時のダイヤトーンと非常に似ているという特徴がある。が、日本で流通したのはImperial 3のみでり、このモデルはダイヤトーン「DS-301」からスーパーツィーターを外した構成に近い特徴のスピーカーだった。
【IMPERIAL 3 の主な仕様】
■使用ユニット:低域用:30cmコーン型、中域用:ドーム型、高域用:ドーム型
■再生周波数帯域:30Hz~20kHz
■インピーダンス:8Ω
■外形寸法:W343xH584xD305mm
■重量:18kg
1973年からは本格的にスピーカー開発に取り組むべく、社長の弟でサクソフォン奏者でもあったアービング・タシンスキーが指揮をとり、ダイヤモンドカットのウレタングリルが特長であるマランツシリーズ(4、5、6、7、8、9)をスタートさせる。シリーズのトップモデル「IMPERIAL 9」こそ評判になったが、結局はアンプほどの評価獲得には至らなかった。
【IMPERIAL 9 の主な仕様】
■使用ユニット:25cmウーファー×2、5cmコーンスコーカー×4、4.5cmコーンツイター×2
■再生周波数帯域:30〜20,000Hz
■インピーダンス:8Ω
■外形寸法:W610×H775×D457mm
■重量:55.8kg
その後、JBLからフルレンジユニット「LE-8T」などを手がけたエドモンド・A ・メイを副社長に迎え、さらにスピーカー事業に注力。最初の作品であるHDシリーズがアメリカのハイ・フィデリティ誌で高評価獲得すると、続いて発表された「900シリーズ」も好評を博す。しかし、エドモンド・A ・メイが死亡すると息子のディック・メイが彼の後を継ぐが、結局、息子は父親を超える大きな成功へと導くことはできなかった。
1-5.日本との関わり
スーパースコープ社の社長・ジョセフ・タシンスキーは事業を拡大すべく、1966年、ハイエンドオーディオに限らず、中級コンポやレシーバーへの進出を計画。日本のメーカーに開発を打診する。結果、スタンダード工業の試作品が採用となり、1968年より生産開始。それが「#25モジュラーステレオ」である。
それ以降、#22から#28に代表されるマランツのローコストのモデルは、スタンダード工業が開発、生産したオーディオである。また、同年より、日本国内におけるマランツの販売はスタンダードセールスに移行。さらに1971年には、スタンダード工業の経営を改善するため、スーパースコープ社が50%の資本参加し、傘下に加えた。なお、この頃からAライン(アメリカ生産)商品以外のマランツモデルの設計生産は日本が主力になっている。
日本で発売された純国産モデルには、プリメインアンプの#1030や#1060を皮切りに、#1040、#1070、チューナーの#112や#125などがあったが、1975年にスタンダード工業が日本マランツに社名変更した後、国内では高級プリメインアンプ「#1150」と「#1250」が大ヒット。日本でもその人気を盤石なものとした。
しかし、1980年にスーパースコープ社は資金難に直面。アメリカ、カナダ以外の全ての海外資産をフィリップスに売却し、ここにスーパースコープ社のマランツは終焉を迎え、フィリップスのマランツとして生まれ変わる。
2.フィリップスの「マランツ」
2-1.二度目の買収
資金難に直面したマランツ・カンパニーを、1964年にソウル・バーナード・マランツから買収したスーパースコープ社。真空管アンプの雄であったマランツ製品をトランジスタアンプでも成功に導き、1968年には日本企業であるスタンダード工業の試作品を採用して発売、マランツをハイエンド製品の少量生産メーカーから世界規模の総合音響メーカーへと変貌させた。
しかし、積極的拡大路線は1980年には裏目に出てしまい、スーパースコープ社も資金難へと陥る。そこで、同社はアメリカ合衆国、カナダ以外の地域でのマランツ製品の製造・販売権及び海外資産、拠点をオランダのフィリップス社に売却。これにより、日本マランツもフィリップスの傘下となるのだが、1990年にはアメリカ合衆国、カナダにおけるマランツ製品の商標権・販売権もフィリップスに売却され、すべてのマランツはフィリップスへと移行し、USマランツは過去のものとなった。
ただ、この買収は双方にとってメリットがあった。
フィリップスにとっては、マランツの高級イメージを背景に、フィリップス全体のブランド力向上が期待できた。
マランツは、ちょうどその頃はデジタルオーディオが民生用として規格化されようとしている時だったこともあり、フィリップスの先進的テクノロジーの利用が可能なことは非常に大きなメリットだった。
こうして、マランツはアナログからデジタルへと時代が動こうとしている中、フィリップスへの傘下に入ったのだった。
2-2.フィリップス、CDを開発
1982年、フィリップスはCDの第一号機の開発・生産に成功する。しかし、それは非常に高価なものとなったため、マランツブラント「CD-63」 として、189,000円で発売を開始。以後、マランツはフィリップスのテクノロジーを使用し、デジタルオーディオの最先端に位置し続けることとなる。
そして、1985年にはマランツのCDテクノロジー全てを導入し、当時の最高級CDプレーヤーと同等キーデバイスを継承したCDプレイヤー「CD-34」を発表。こちらは戦略的な低価格(当時の販売価格は59,800円)で販売したため、爆発的な売上を記録。これにより、CDの認知度は一気に上がり、マランツのCDプレーヤーは常に高い評価を獲得することとなる。
【CD-34 主な仕様】
■型式:CDプレーヤー
■サンプリング周波数:44.1kHz
■量子化数:16ビット・リニア
■半導体レーザー波長:0.78μm
■焦点深度:±2μm
■外形寸法:W320xH90xD300mm
■重量:7kg
同じく1985年、マランツはレーザーディスクプレーヤー「LV-1CD」の販売を開始。このモデルは他社からのOEMだったが、以後、段階的に社内設計生産に移行し、同じく1985年には、世界初のデジタルプロセッシングアンプ「DPM-7」を発表する。
ただ、このモデルは実際に流通することはなかったが、このDPM-7が基となり、最高水準のシグマ1ビットADコンバーターとビットストリームDAコンバーターSAA7350を搭載したデジタルオーディオシグナルプロセッサー「AX1000」(オーディオコンピューター)として実を結ぶ。
現在ではごく一般的に使用されている室内音響補正やサラウンド効果だが、1991年当時ではとても革新的であり、このAX1000が、マランツがデジタルオーディオプロセッシング分野で成功を収める基盤となった。
ちなみに、フィリップスはコンパクトカセットの後を狙ってMDと争うも失敗し、次世代デジタルオーディオフォーマットであるSuper Audio CDの開発に着手。そして1999年末には、マランツが「SA-1」を発表するが、これはSACDの1号機である。
2-3.フィリップスの、マランツのアンプ
フィリップス傘下に入っても、マランツのアンプは一級品だった。特に、一定のパワーまではバイアス電流を固定して完全な純A級動作とし、そのパワーを超えるとAB級動作に自動で切換るクォーターA方式システム搭載のプリメインアンプ「PM-6a」と、クォーターA方式に加え出力段にMOS FETを採用した1985年発売のプリメインアンプ「PM-94」は評価が高く、音質の良さでマランツの名を大いに高めた。
そして1992年には、現在でもマランツの重要な独自回路「HDAM」が初搭載となった「PM-99SE」と「CD-15」を発売。さらに1994年発売のセパレートアンプ「SC-5」「SM-5」でトップアワード独占。また、1995年には、伝説の銘機#7、#8B、#9を復刻し、驚異的なヒットを記録した。
2-4.二つのマランツ
1980年、スーパースコープ社はアメリカ合衆国とカナダだけにマランツブランドを残し、他のエリアでの権利はフィリップスに売却した。そして、その十年後の1990年、スーパースコープ社はアメリカとカナダでのブランド権も売却し、ここにすべてのマランツはフィリップスの元に集結した。
そのため、1980年から90年の間には、マランツは二つ存在した。
アメリカとカナダで展開された、スーパースコープ社によるマランツ。
そして、北米以外で展開された、フィリップスによるマランツである。
特に、スーパースコープ社のマランツはローシステムが中心で、フィリップスのマランツとは大きく方針が異なった。それが大きな混乱を招く原因となり、1990年の暮れのことである。スーパースコープ社を買収していたダイナスキャンから、フィリップスが残された北米におけるマランツの諸権利を買い取り、ようやくマランツは一つとなった。
3.ディーアンドエム・ホールディングスの「マランツ」
3-1.三度目の買収
スタンダード工業株式会社は、もともとはポータブルラジオやテープレコーダーなどを製造販売していた会社だが、1968年にスーパースコープ社と提携。1971年にスーパースコープ社より50%の資本参加得たことで、アメリカの高級オーディオブランド「マランツ」製品の設計・生産に携わる。
そして1975年、スタンダード工業は「日本マランツ」と社名を変更し、マランツの設計・生産に一層関わるようになるが、1980年にフィリップスへ売却されると、フィリップス開発のCDプレーヤーにマランツのブランドがつけられ、生産を担当。続いて最新のフィリップス製部品を数多く搭載した自社のCDプレーヤーを開発し、日本のオーディオ誌などではデジタルオーディオ分野で先行するメーカーと一気に肩を並べる存在となる。
そうした経緯を経て、2001年5月、日本マランツはフィリップスからマランツの商標権、営業権、海外の販売会社及びその資産を買収。さらに、2002年にデノンとの経営統合がなされ、共同持株会社ディーアンドエム・ホールディングスが設立された。
自分たちで自分たちのブランドを買収する。
それが三度目のマランツ買収劇であった。
そして、これでようやくマランツを設計生産するものと、ブランド運営を展開するものが同一となり、全世界において共通コンセプトでマランツの事業展開が可能となった。
3-2.ホームシアター事業への本格参入
2003年、マランツはオーディオ分野だけでなく、ホームシアター、とくにフラッグシップ機の領域で大きな成果を獲得する。
まず、コントロールシステムのハイエンド機で有名な米クレストロン社と提携し、ホームシアターのカスタムインストールビジネスへの本格的参入を開始した。
一方、中核機器のDVD オーディオ・マルチプレーヤーにおいては、音質・画質を磨き上げた「DV8400」や、その上位機種的「DV-12S2」を発表。AVアンプPS9200も最先端フォーマットに対応したPS9200バージョン2とし、さらにプロジェクターでは、劇場にせまるDLP(TM)3板方式のVP-10S1を登場させた。
そして、こうした一連の開発は、いつしかマランツがオーディオだけでなく、高音質・高画質の音響・映像によるホームシアターブランドとしての立場を磐石化するものとなり今に至る。
4.まとめ
マランツは三度買収されている。
最初の買収は1964年、#10Bの開発により資金繰りが悪化したマランツ社を、スーパースコープ社が買収した。
二度目の買収は1990年、積極的販売拡大路線が裏目となり、スーパースコープ社からフィリップスが買い取った。
そして、三度目は2001年、日本マランツがフィリップスから自社ブランドを買い戻した。
しかし、マランツは誰が運営会社であろうと、いつでもオーディオファンに愛されている。
マランツのマランツ。
スーパースコープ社のマランツ。
フィリップスのマランツ。
日本マランツのマランツ。
これからも全てのマランツが愛されるブランドでありますように。
それがマランツファンである私の希望だ。