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Electro-Voice(エレクトロボイス)のブランド・ストーリー 〜オーディオ業界の先駆者「エレクトロボイス」〜

アメリカの老舗スピーカーブランド御三家いとえば、JBLとアルテック、それにエレクトロボイスだろう。この三社では、歴史はエレクトロボイスが一番古い。JBLの創立は1946年、アルテックは1941年。そんな中、エレクトロボイスは1927年創立である。

この「エレクトロボイス」の生みの親は二人いる。


一人が、アル・カーン(Albert R. Kahn)
1906年7月9日、イリノイ州ランサール生まれ。少年時代にエレクトロニクスに興味を持ち、後にイリノイ州でアマチュア無線の免許を取得。そして1927年、21歳のとき、エレクトロボイスの前身となる会社を立ち上げる。享年98歳。亡くなったのは2005年6月15日、ミシガン州ダイアモンドレイクの自宅でのことだった。

もう一人は、ルー・バロウス(Louis R. Burroughs)
1903年7月29日生まれ。1960年にAES(Audio Engineering Society)の会員となり、1961年に副会長、1967年に理事に就任する。退職後に移り住んだアリゾナ州レイクハヴァス市では「Mr.Microphone」の称号で呼ばれた。1986年1月13日、レイクハヴァス市の自宅で死去。享年82歳だった。
この二人により始まった「エレクトロボイス」。

今日は、アメリカ有数のこの総合オーディオメーカーについて、皆さんと一緒に振り返りたい。

目次

1.社名の由来
2.マイクロフォン開発
3.スピーカー開発
まとめ

1.社名の由来

1-1.ラジオ・エンジニアー社

1927年に、カーンとバロウスの二人が最初に設立した会社は「ラジオ・エンジニアー社」というラジオメンテナンスサービスの会社である。創立時の手持ち金は$30、資産は中古車1台。ルイジアナ州サウスペンドにある「Century Tire and Rubber Company」という会社の地下室からのスタートだった。
しかし、二人は1年も経たないうちに業績を伸ばし、やがてラジオ受信機の小売りも開始する。
が、1929年の世界大恐慌で大打撃を受け、オーディオ機器や小型PAシステムの開発・製造へと方向転換を図る。

1-2.エレクトリック・ボイス

そんな折、カーンとバロウスの二人は、ノートルダム大学のフットボールコーチとして伝説的な人物「ヌート・ロックニー(Knute Kenneth Rockne)」が病気のため4ヶ所の練習場での指導が行えなくなって困っていることを知る。
そこで二人は、4ヶ所の練習場全てを見下ろすことができる塔をつくり、その上から大声で指導できるようなPAシステム(マイクロフォンと4つのスピーカーを組み合わせたハンディ型PAシステム)を設計した。

これをヌート・ロックニーが「エレクトリック・ボイス」と呼び、愛用したことから、二人は社名を「エレクトロボイス・マニュファクチャリング社(Electro-Voice Manufacturing Co.,inc)」に変更する。

1930年のことだった。

1-3.余談

エレクトロボイスの名付け親「ヌート・ロックニー」は、ノートルダム大学の伝説的コーチである。コーチ時代の12年間では105勝12敗5引き分けという圧倒的な実績を誇り、中でも強豪・陸軍士官学校との試合に勝利した一戦は後に映画化され、若き日のロナルド・レーガン元大統領が出演している。

ちなみに、その映画での彼の役は、ジョージ・ギップ(愛称:ギッパー)。レーガン元大統領の愛称がギッパーなのはこのためである。

2.マイクロフォン開発

2-1.ルー・バロウスの退社

ロックニーのために設計した電気メガホンの成功により、二人はこのPAシステムを更に進化させようと、マイクロフォンの開発に踏み切る。旋盤やドリル、プレス機などを導入し、本格的にマイクロフォンの製造を開始する。

しかし、当時はまだ、マイクロフォンは黎明期だった。そのため業績はなかなか上がらず、これが経営の大きな重しとなった。そのため、ルー・バロウスはエレクトロボイスを退社してしまい、カーンは一人でその負債の責任を負うことになる。

2-2.再出発

それでも、1933年には、カーンは全ての負債を完済する。
そして1934年、現在のマイクロフォンでも使用されているハムバッキングコイル(Hum Bucking Coil)を考案する。これはダイナミックマイクロフォンのボイスコイルに、もう一つのボイスコイルを隣接させることで、60Hz付近のノイズをキャンセリングできるコイルである。
これが業績向上の一つの要素となり、1936年には20人の社員を雇用。そのうちの一人がバロウスで、彼はチーフエンジニアとして復職を果たす。

エレクトロボイス社の再出発である。

2-3.マイクロフォンの劇的な生産増大

1942年、バロウスは、口元に固定して使用するリップ型のノイズキャンセリング・マイクロフォン「T45」の開発に成功する。時は折しも第二次世界大戦中だったこともあり、このマイクが軍用車両の騒音や戦闘状態の中でも明瞭な更新を可能にしたことから、さっそくアメリカ陸軍に採用されることとなる。
これにより、劇的にマイクロフォンの生産は増大。全生産量は毎年100万個にまで達する。

また、バロウスは、このT45ノイズマイクロフォンの開発により、終戦後の1946年に軍部から特別表彰を受け取る。

3.スピーカー開発

3-1.オーディオ市場への本格参入

大戦が終結すると、戦時中は制限されていた民生用の製品開発が解禁となり、エレクトロボイスも本格的にオーディオ製品をてがけるようになった。そして1946年、現在のミシガン州ブキャナンに本社を移転。開発、工場、販売を一つの場所に統合し、オーディオ市場への本格参入の準備を始める。
同時に、社名から「マニュファクチャリング」が消え、エレクトロボイスという今日の企業の礎が出来上がり、急速な成長を遂げることに成功する。

3-2.一大転機の訪れ

この頃、レコードビジネスが盛んになり、エレクトロボイスはフォノカートリッジの製造にも手を出し、いっそう業績を伸ばすこととなる。
しかし、エレクトロボイスに一大転機が訪れたのは、1949年のハワード・サウザー(Howard T.Souther)の入社である。

ハワードはカーンにひたすらスピーカー造りを提案する。マイクロフォンとスピーカーは姿形こそ違うが、変換機としては共通するところも多いからだった。
あまりに熱心なハワードにより、カーンはスピーカーシステムとユニット生産についての興味を抱く。
そして1950年代に入り、8インチ、12インチ、15インチの製品を立て続けに発表。さらに18インチのウーファー「18WK」を開発し、クリプシュタイプのホーンロード・エンクロージャーに収めた4ウェイ構成の「ザ・パトリシアン」を発表する。

3-3.1971年以降

1950年に発表された「ザ・パトリシアン」。
これは大口径ウーファーと複雑な折曲げホーン構造を持つ豪華なシステムとして、いまだ語りぐさとなるほど歴史的にも有名なスピーカーである。
その後1970年代まで、パトリシアンはいくつかタイプを変えて発表され、キング・オブ・スピーカーとして揺るぎない地位を築いた「パトリシアン800」が1971年に生産終了を迎えるまで、多くのオーディオファンを魅了した。

それ以降は、ディズニーランドを始めとするエンターテイメントスペースやコンサートのSR用など、業務用のスピーカーの開発に軸足を置くようになっている。

まとめ

エレクトロボイスの採用実績には目を見張るものがある。

1942年にバロウスが開発した、リップ型ノイズキャンセリング・マイクロフォン「T45」は、その後改良が重ねられ、NASAのマーキュリー計画、ジェミニ計画、スカイラブ計画などにも採用されている。

アーティストにも人気がある。
1986年に生産を開始したManifold Technologyを搭載したコンサートサウンド用システムMT-4は、MetallicaやGuns’s Roses、そしてBon Joviなどのワールドツアーで10年間に渡り使用され、2000年に発表された大型ラインアレイエレメント X-Lineは、The Rolling Stones、Rod Stewartなどのコンサートツアーで使用されている。

また、2004年のアテネ夏季オリンピックにおいては22会場中18会場でEV製品が採用され、2007年に世界同時開催で行われた歴史上世界最大のコンサート「Live Earth」のメイン会場でも使用された。

そして、そんな華々しい採用実績を持つエレクトロボイスが、家庭用スピーカーとしてこの世に送り出した最高傑作が「パトリシアン800」だ。
1970年代に発売されたこのスピーカーは、長年にわたり家庭用最高級機種の象徴として君臨してきた。この「パトリシアン800」については、またどこかで皆さんと振り返りたいのだが、いずれにせよ、世界最大級のオーディオ総合メーカーのエレクトロボイスは、これからも音楽シーンにとどまらず、わたしたちの耳に上質な音・情報を届けてくれることだろう。

 

 

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