B&Wブランドストーリー 〜一人の老婦人の感動から、B&Wは始まった〜

ビートルズ最大のヒットアルバムにして、事実上最後のアルバム「アビー・ロード」。そのジャケットはレコードジャケット史上最も有名なものの一つで、ロンドン・EMIスタジオ前の横断歩道で撮影されている。

 

「EMIスタジオ」と言ってピンとこない方には「アビー・ロード・スタジオ」と言えばわかるだろうか。しかし、「EMIスタジオ」も「アビー・ロード・スタジオ」も同じスタジオだ。実はこのビートルズのレコード「アビー・ロード」がヒットするまでは、「アビー・ロード・スタジオ」は「EMIスタジオ」と呼ばれていた。

このアビー・ロード・スタジオでは、ビートルズばかりでなくクリフ・リチャードやピンク・フロイドも録音しており、さらに「ジェダイの復讐」「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」「ハリーポッターと秘密の部屋」など、誰もが知っている映画のサウンドトラックも多数製作されている。

世界一の録音スタジオ。

そう評する人も多く、ポール・マッカートニーなどは、アビー・ロード・スタジオの第二スタジオをそっくりそのまま自宅に再現して使用している。そして、そんなアビー・ロード・スタジオが、1988年以降採用し続けているのが「B&W」のスピーカーである。

あらゆる聞き手の気持ちを優雅にしてくれるスピーカーブランド「B&W」。今日はそんな偉大な英国のスピーカーブランド「B&W」について皆さんと語りたい。

目次

1.B&W誕生秘話
1-1 社名の由来
1-2 設立
2.飛躍~3つの成功~
2-1.P1の成功
2-2.801の成功
2-3.ノーチラスの成功
3.まとめ

1.B&W誕生秘話

1-1 社名の由来

創設者は、John Bowers(ジョン・バウワース)。1922年生まれ。

 

第二次世界大戦中の青年時代に王立通信軍団に入団。占領下の欧州にて、レジスタンス諜報員との秘密無線連絡員という特殊任務に就く。ブレッチリー・パーク(暗号名:ステーションX)を拠点に、時には敵陣の背後で過ごすこともあったが、その戦時下に、バウワースは貴重な出会いを果たす。国防軍にいたRay Wilkins(ロイ・ウィルキンス)と出会うのである。

ロイ・ウィルキンス。彼こそがBowers & WilkinsのWilkinsである。

戦後、バウワースはブライトン技術大学で通信技術の資格を取得し、ウィルキンスとチームを結成。ウェスト・サセックス州ワーシングに、Bowers & Wilkins社という小売店をオープンする。それは無線とテレビを専門とする店だった。

しかし、ジョン・バウワースが熱狂的なクラシック音楽のファンだったこともあり、ほどなくBowers & Wilkins社はハイファイ機器の取り扱いも開始する。さらに、バウワースはコンサートの常連客だったこともあって、当時の最高機器が再生するサウンドにほとほと失望すると、自らの手で既存のスピーカーを改良し、音質の改善を考え始める。

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1-2 設立

バウワースはウィルキンスと共同経営する電気店の裏で、地元の顧客のためにスピーカー・システムを手で組み立てていた。評判は上々だった。そして、ミス・ナイトという老婦人もバウワースのファンの一人だったのだが、彼女はバウワースのクラッシック音楽に関する造詣の深さと、彼の手掛けるスピーカーの音質の良さに感動し、「バウワースが事業を起こすための資金として1万ポンドを贈与する」との遺書に残す。

 

これがB&W Electronics Ltd. 誕生物語だ。

まさに文字通り、B&Wは一人の感動から始まった。1966年のことである。その年にB&Wは法人として誕生し、今や多くの人に愛されるブランドへと成長したのである。

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2.飛躍~3つの成功~

2-1.P1の成功

バウワースはB&Wを設立した1966年、早速同社初となる市販スピーカー「P1」(キャビネットとフィルタはBowers & Wilkins製、ドライバは他社製)を製作する。そして、このP1は商業的に一定の成功を収めるのだが、バウワースはその収益を測定装置に投資する。購入したのは、ラジオメータ発振器やペン記録器など、オーディオ・テスト装置のコレクションだった。

思うに、ここが特筆すべきポイントだ。最初の収益をこうした領域に投資するあたりこそ、B&Wが飛躍した最大の理由であろう。実際、こうした装置が設置されて以降、B&Wが製造したスピーカーには専用の測定証明書が付され、世界中の愛好者からの信用獲得に成功している。

一方で、同社のwebサイトでは、バウワースについてこう書き記している。

「質素な生活を心がけ、利益は事業に再投資することで完璧なスピーカーを作り上げるための研究を続けることをモットーとしていました」

B&Wが世界的な成功を収めているのは、まさにバウワースのそうした人間性があってこそだろう。

さて、1969年になると、Bowers & Wilkinsはその歴史上画期的となるDM70を発表する。クールな曲線を描くボディに、静電式ツイーターを搭載。これには全ての人が同じ意見を持ち、クールな曲線のスリムなキャビネットはスピーカー形状のデザインを永久的に変えてしまい、11個のモジュールで構成される静電式ミッドレンジ/高周波帯域ユニットは大きな発明だったと、批評家は口を揃えることとなるのである。

そしてB&Wは欧州や他の世界マーケットにも参入を果たし、1973年までに製品の約6割が輸出され、産業部門で同社初の英国女王賞を受賞するに至る。

 

2-2.801の成功

引用:オーディオの足跡

伝説的名機「801」を語る前に、「ケブラー」と「DM7」に触れておきたい。

ケブラーはB&Wが1974年以降選択しているコーン素材である。

「真の音楽的アクションが出現する領域はミッドレンジであり、そのためスピーカーの品質のおいてスムーズな中音域は非常に重要だ」。

それがB&Wの基本方針だが、黄土色のKevlar®ミッドレンジ・コーンはB&Wの特許品の1つとなり、B&W製スピーカーが持つナチュラル・サウンドの品質を証明している。

ケブラーは、まず基本となる織布に硬化樹脂を埋め込み、その後コーンにポリマー・コーティングを施す。これにより繊維は密封され、減衰力は強化。セミフレキシブル・コーンが完成する。

このコーンには既存の材料には見られなかった独特のブレイクアップ動作スタイルがあり、全音域すべての周波数で安定した分散パターンを維持。リスナーに聞こえる音は遅れなど時間によるぼやけが非常に少ないサウンドとなる。

しかし、ケブラーの特徴はクリアなサウンドだけに留まらない。リスナーが多くても、どの人にも同じクリアな音が聞こえるのだ。実際、ドライバー・コーン材料のテストを何度も行ったところ、防弾チョッキに使用されている繊維の1つであるKevlar®は、銃弾を止めると同様に定在波を効果的に分解することが明らかとなった。

一方、1977年、B&WはDM7を発表する。このDM7はトゥイーターをメイン・キャビネットから分離し、最上部に配置するというアイデアを採用。これにより高周波数帯域を自由に開放し、B&Wサウンドの特徴「生き生きとした音」の創造に成功している。

その斬新すぎるデザインに賛否両論あったものの、現在では「最上部配置トゥイーター」技術は大幅に改良され、最新のB&W製スピーカーにも脈々と継承。B&Wの象徴ともなっている。

そして、こうした製品の開発を経て、1979年、801が完成する。

801と言えば、EMI Abbey Road、Decca、Deutsche Grammophonなど、世界中のクラシック音楽レコーディング・スタジオの標準スピーカーとして採用された伝説的名機だ。個別のチャンバーに各々組み込まれたドライブ・ユニットが、これまで聴き取れなかったリアルな音を再現。広帯域で位相特性に優れていて、ダイナミックレンジの広い音にもレスポンス良く追従するスピーカーだった。

そして、この801により、B&Wは世界のスピーカーのトップブランドとしての評価を獲得。以後、重厚なヨーロピアンサウンドではなく、HiFiオーディオとしての先進的ヨーロピアンサウンドを確立したスピーカーメーカーとして認識されるようになる。

そう。まさにこの初代801は、高性能スピーカー・デザインの新時代の到来を告げるものとして、今なおオーディオ史に燦々と輝く名機であると同時に、オーディオファンの憧れ的存在なのである。

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2-3.ノーチラスの成功


引用:B&W

1987年、創業者のジョン・バウワーズはこの世を去る。

一般的に、強烈な存在感を示すリーダーを失うと、企業は個性を失い急速に衰退する。しかしB&Wは、そういった意味では普通の会社とは異なっていた。コンピューター技術の積極的な導入を図り、操業当時からの「手作り」方針から一転。180度転回し、ハイテク技術の塊のようなスピーカー・システムの開発が目立つようになる。

しかし、創業者の理念は失われなかった。「優れた製品を世間に浸透させたい」。その想いは間違いなく受け継がれている。そしてその象徴が、1993年に発表されたNautilus(ノーチラス)だ。

「これまで誰も聞いたことがないような最高のスピーカーを作るためならば、異例であろうが何だろうが必要なことは何でもする」。

これがノーチラス開発チームのコンセプトだが、まさにあらゆる先入観を疑問視し、ルールブックを端から破り捨てるというプロセスで設計されたスピーカーだった。

最初の壁は、クリアな高音部とミッドレンジを実現するには、テーパリングチューブが最長3mになる、と導き出したことだった。しかし、テーパリングチューブが3mもあると、キャビネットには当然収まりきらない。そこでエンジニアたちが疑問に思ったことは、スピーカーはボックスでなければならないのだろうか?ということだった。

結果、B&Wは一つの結論へ到達する。自然をモチーフにした螺旋形なら、省スペースの上パフォーマンスも損なわれない。そう。ノーチラスのあの特異な形状は、まずは機能があって、その機能を実現するための有機的デザインだったのである。実際ノーチラスの音に耳を傾ければ気づく。確かに両側の直線が消えたことで、ほぼ全てのキャビネット由来の歪みが解消されている。そして、その音はとてもクリアで、まるで手でふれることができるかのようにリアルなのである。

B&Wのノーチラス。

同シリーズは、紛れもなく世界で最も良い音を響かせるスピーカーの一つである。

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3.まとめ

スピーカーの天才はこうも同じ夢を見るものなのだろうか。JBL創設者ジェームス・バロー・ランシングもそうだったが、ジョン・バウワースもまた、真の夢は家庭用スピーカーで美しい音を鳴らすことだった。

そしてその夢は、二人とも叶えている。ランシングはアメリカで、バウワースはイギリスで。

いや、今は世界のどこでも、家庭のスピーカーから美しい音は流れる。しかしB&Wほど、見た目も美しい音はあるまい。

私は祈る。これから先、何十年何百年と、視覚・聴覚に訴える美しいスピーカー造りをB&Wが続けてくれることを。

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