オーディオ買取屋のスタッフ紹介
草間 啓介KEISUKE KUSAMA
- 生年月日
- 昭和23年6月13日 69歳
- 趣味
- 映画鑑賞、スキー、登山、渓流釣り、山菜取り
- 特技
- 一級陸上無線技術士、無農薬有機野菜作り、庭木選定はプロ並み
オーディオ買取屋店主の草間啓介です。
オーディオ機器を手放したいと言う方々の様々なご相談やご要望を承っております。
真摯で丁寧な対応をモットーに少しでもお客様のお役に立てればとの思いで励んでおります。
私が初めてラジオを作ったのは昭和39年中学3年生の頃でした。当時兄が作っていたラジオを見て自分も作ってみたいと思ったことがきっかけで、雑誌(たしか「ラジオ技術」だったと思います)を買って作り方を調べ、こつこつ部品を集めて真空管式のラジオを作りました。
工業高校に進学し、その後大手電機通信会社へ就職し無線通信機を扱う部署に配属されました。部署に入って最初の仕事は半田上げ作業で、同軸ケーブルコネクタの修理、ガラス管ヒューズの修理など基本的な技術を叩き込まれました。
無線通信機を扱う職務のため、特殊無線技術士という資格を取り無線機も扱えるようになりました。当時の無線機は進行波管や真空管で構成された無線機が主流でしたが、そのうちにクライストロンを使った無線機が出てきました。クライストロンは直流250Vのバイアス電圧が必要な増幅管で、作業中うっかり感電すると「ズン」と来て心臓が止まるほどの衝撃でした。身をもって直流感電の恐ろしさを知り、以後最善の注意を払って作業に取組むようになりました。
その後、移動通信系の仕事に携わるようになったため第一級陸上無線技術士資格を取得し、一人前の無線技術士になることができました。
高校生の頃から映画が好きで、特に海外のミュージカル映画がとても好きだったので、社会人になるとミュージカル映画のサンウドトラック盤を聴くために東芝のレコードプレーヤーを買いました。これが私にとって最初の「オーディオ機器」でした。その頃はお金もなく独身寮の相部屋生活だったので立派なものではありませんでしたが、好きなときに好きな映画のサウンドトラックが聴けるというだけで最高に満足でした。その後少しずつ機器を買い足していきました。
また、ちょうどその頃日野皓正のライブを聴いたことがきっかけでJAZZにはまり、実際に職場のジャズバンドでフルートを演奏するまでになりました。今は演奏することはありませんが、ブルーノートが好きで良く聴いています。
就職してからも休みの日などは仲間と草野球を続けていたのですが、35歳になり郷里の松本市へ戻った際、地域の少年野球チームのコーチを引き受けることになりました。その後監督になり選手の健全育成一筋に今年で34年目に入りました。最近年齢を明かすと「若いですね!」と言って頂くことがありますが、子供達と一緒に声を出しているからではないかと思っています。
毎週土・日曜日は少年野球の指導のため、オーディオ買取屋の対応が遅れることがあります。申し訳ありませんがご容赦ください。
登山・渓流釣り・スキーなど、山に関連した趣味が多いです。20〜30歳代は登山に明け暮れ3000m級の頂はほぼ制覇しました。冬山やロッククライミングにものめりこみましたが、家族ができてからは普通の登山だけにしています。山を登る際、渓流を遡るルートを歩いていると、大きなイワナがゆったりと泳いでいる姿を見ることが何度かありそのうちに渓流釣りにもはまってしまいました。
スキーは20歳から始めて24歳にはバッチテストの1級を取り、白馬八方・志賀高原、野沢温泉と滑りまくりました。
音楽への興味から、オーディオ機器についても勉強するようになりました。電気回路を扱う仕事に携わっていたため、技術的な部分ではそれほど抵抗無く理解できましたが、感性の部分では奥が深く、今でも勉強の積み重ねです。オーディオ買取の際お客様のご自宅へ伺うことがあるのですが、その際お客様の素晴らしいオーディオルームを見せて頂いたり、オーディオのお話を伺ったりすることが何よりの楽しみです。
オーディオ買取屋はお客様の大切にされているオーディオをそのオーディオに刻まれた歴史と共に高値買取させて頂くことをモットーに、出来る限り無駄な経費を省き、その分お客様へご納得頂ける金額を提示できるよう誠心誠意努めております。是非オーディオ買取屋をご愛顧頂きたく存じます。
山本 英明HIDEAKI YAMAMOTO
- 生年月日
- 昭和26年9月29日 66歳
- 趣味
- 音楽鑑賞 ジャンル全般でも演歌が好き
旅行(鉄道利用)
料理(日本料理が得意特に煮物)
- 特技
- スマイル
オーディオ買取屋スタッフの山本です。
入社して4年になります、オーディオを手放すお客様、オーディオをお探しのお客様の想いを常に考え仕事をしています。
インターネットでの買取のご依頼は、買取業者の顔が見えずご不安のことと思います。お客様にとって思い出の詰まったオーディオをできるだけ高く、お客様にご納得頂ける価格で買い取らせて頂けるよう誠心誠意対応させて頂いております。ご要望はなんでもおっしゃってください。可能な限り対応致します。
私は長年、大手電気メーカーで部品調達と品質管理の仕事をしてきました。その経験が今の仕事にすべて生かされていると感じています。現在はオーディオ買取屋のスタッフとして働いておりますが、顧客第一主義であることには何ら変わりがなくお客様に喜ばれる仕事を目標に日々勤めています。
私は昭和26年東京目黒区大橋で生まれました。その頃は渋谷と二子玉川や下高井戸を東急電鉄玉川線(通称玉電)が路面電車として走っていて、西郷山公園や練兵場や玉電の車庫が子供の時代の遊び場でした。
小学生の頃はカメラクラブに入り、常にカメラを持ち歩く所謂″カメラ小僧″でした。ある年の大みそかに起きた近所の火事を撮影した写真で賞を頂いたこともありました。66歳になった今でも写真は趣味として続けています。
中学時代はサッカー部に入り「三度のメシよりサッカー」の日々を送りましたが、高校に入るとグループサウンズに夢中になり新宿ACBやラセーヌに通い、ザ・タイガースやジャガーズに熱狂しました。その頃のカセットテープは今でも保存していて、時々思い出しては自宅のオーディオで楽しんでいます。40年以上前の音源ですから良い音ではありませんが当時の想い出が蘇る私の宝物です。
音楽に熱中した影響からか“音”に関心を持ち、大手電気メーカーに就職しました。配属は「音造り」ではなく部品調達の部署で、数年間コンベアから流れてくる製品を梱包する日々を送りました。その後部品調達の部門に移り、カーマルチメディア関連の意匠部品調達などの業務に約40年間定年まで携わりました。「音造り」とは無縁の会社人生ではありましたが、厳しい品質・価格・納期が求められる大いにやりがいのある業務でした。その時の経験は今の仕事にも役立っています。
自宅で過ごす時間はほとんどJAZZを聴いています。マリエル・コーマン&ヨス・ヴァン・ビースト・トリオが最近のお気に入りです。夜、1日の仕事が終わりお酒を傾けながら聴くJAZZは本当に至福の時間です。たまに昔のカセットテープを取り出してきてグループサウンズを聴いています。
地域への恩返しの思いで、町会の交通安全部長をやらせて頂いています。今年で3期5年目になります。また長野県建設事務所から委嘱された“道路観察隊員“もライフワークとなっています。