メーカー別オーディオ買取事例

ALTEC

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Altec(アルテック)の歴史と特徴

1937年、米国ウェスタン・エレクトリック社の業務用音響機器部門子会社E.R.P.I.が集中排除法の適用を受け解散。同社の主要メンバーがアルテックサービス社を設立します。

そして1941年、後にJBLを創設するジェームス・バロー・ランシングが設立した「ランシング・マニュファクチャリング社」を買収すると、社名を「アルテック・ランシング」に改称。ジェームス・バロー・ランシングを技術担当副社長に迎えます。

そしてアルテック・ランシング 社は、ジェームス・バロー・ランシングが勤務する5年間に、2ウェイ同軸型604、ウーファー515、ドライバー288など、数々の名ユニットの開発に成功。さらに、これらのユニットを使った劇場用スピーカー「ヴォイス・オブ・ザ・シアター」の開発にも成功します。このシステムは当時の映画館の標準スピーカーとなるほどの名機で、1953年には映画技術科学アカデミーから「ワールド・スタンダード」の認定を受けます。

1965年には、家庭用スピーカー「マグニフィセント」「ヴァレンシア」を発表します。特に「ヴァレンシア」は「A7-8」のユニットをファニチャー感覚のボックスにアセンブリーしたモデルで、コンシューマーシステムの中でもベストバイのエクセレントモデルでした。

さらに1970年には、20cmのフルレンジスピーカーユニットを搭載する「755E」を発表します。その薄い形状から、愛称は「パンケーキ」。元来は映写室のモニター用に使われていたユニットで、物理特性に古さはありますが、音声帯域の明瞭度には捨てがたい良さがありました。

アルテックは、こうした素晴しい製品を数々世に送り出しましたが、1980年代に売上が低迷すると、まずは主力工場であるアナハイム工場を閉鎖します。それでも経営体質は改善できず、1998年には残されたオクラホマ工場も閉鎖。Telex corporationに編入され、事実上60年余の歴史に終止符を打ちます。

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