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家系から紐解く小澤征爾

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オーディオ買取屋のある長野県松本市では、毎年セイジオザワフェスティバルが行われます。

そして、その総監督である小沢征爾が、平成28年10月3日、東京都の名誉都民に選出され、都庁で行われた名誉都民顕彰式に招かれました。受賞者は、昨年のノーベル生理学・医学賞受賞者で北里大特別栄誉教授の大村智や、1964年の東京五輪、68年のメキシコ五輪の重量挙げ金メダリストで東京都ウエイトリフティング協会会長の三宅義信。

そこで今回はこの栄誉を記念して、小澤征爾の家族や家系について調べてみました。

  1. 両親
  2. 兄弟
  3. 結婚
    初婚
    再婚
  4. 子供
  5. 師・齋藤秀雄との関係
  6. まとめ

 

1.両親

小澤征爾の父は山梨県出身、東京歯科医専(現・東京歯科大学)卒で、歯科医院を開業していた小澤開作です。政治運動にものめり込んでいて、満州国協和会創設者の一人で民族主義者でした。満州事変の首謀者となった陸軍大将の板垣征四郎と、帝国陸軍の異端児と呼ばれた石原莞爾は同志で、「征爾」は彼ら二人の名前から一字ずつもらったものと言われています。

一方、母・さくらは仙台出身のクリスチャンで、日本や中国の政治関係者や教会関係者がよく遊びに来るにぎやかな家で育ちました。子供たちに小さい頃から賛美歌を歌わせていたことも、おそらく育った環境が関係あるのでしょう。

 

2.兄弟

小澤征爾は四人兄弟の三男です。長男・克己は彫刻家、次男・俊夫はドイツ文学者、四男・幹雄は俳優と、兄弟全員が文化的活動をされています。

一方で、小澤家は経済界とも関わりを持つ一家です。
次男・俊夫は下河辺牧場の創業者・下河辺孫一の次女・牧子と結婚し、経済界の名門家系である下河辺家と閨閥で繋がっています。

下河辺家といえば、下河辺孫一の父・下河辺建二は日本鉱業(現・ジャパンエナジー)の社長や日産農林工業(現・兼松日産農林)の会長等を歴任した実業家で、牧子の叔父・下河辺三史は日製産業(現・日立ハイテクノロジーズ)の社長を務めたことで有名です。なお、下河辺三史は元首相・芦田均の娘婿です。そのため、小澤家は下河辺家を通じて芦田家と姻戚関係で結ばれているといえるので、政界にも血筋を持つ一家となります。

 

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ところで、次男・俊夫と牧子夫妻は2男をもうけ、その次男はミュージシャンの小沢健二です。
小沢健二は1988年に東大文Ⅲに入学。それと同時に中学時代テニス部で一緒だったコーネリアスこと小山田圭吾から誘われ、ロリポップ・ソニックに参加。そして1989年8月にフリッパーズ・ギターとしてデビューし、全作英語詞という当時の邦楽シーンでは異例のアルバムにも関わらず、30万枚の売り上げ枚数を記録します。

その後フリッパーズ・ギターは解散し、小沢健二はヒップホップ・グループのスチャダラパーと共演するのですが、1994年には「今夜はブギー・バック」が50万枚を超える大ヒット。これにより日本でのラップ・ミュージックやヒップホップのポピュラー化を促すこととなり、小沢健二自身も2年連続の紅白出場を果たします。

1998年『知ってるつもり?!』(淡谷のり子特集)にコメンテーターとして出演して以降、2014年まで16年間テレビ出演はありませんでしたが、2014年に「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出演。ボーダーシャツがあまりに似合っていたことから、「奇跡の40代」と話題になりました。

 

3.結婚

3-1.初婚

さて、小澤征爾は二度結婚しています。
初婚は1962年、相手は三井不動産社長・江戸英雄の娘で、ピアニストの江戸京子。互いに桐朋女子高校の第1期生同士でした。交際当初は、江戸英雄は娘の気の強さと強烈な個性を理由に小澤征爾との交際に反対していましたが、小澤征爾が江戸家に入りびたっていたこともあり、結局、江戸英雄は二人の仲を認めざるを得なくなり、月20万円(一説では50万円)もの援助をすることとなります。

しかし、二人は四年後に離婚。原因はまことしやかに二つの事柄がささやかれています。

一つが、婚姻中、練習で疲れて帰ってくる小澤征爾が「もう音はもう聴きたくない」と言って、元妻・江戸京子のピアノの練習を拒絶したこと。
もう一つが、当時の小澤征爾カラヤン指揮者コンクール優勝などを経て「世界の小澤征爾」としてスターと化しており、銀座のバーの女性やモデル・入江美樹との噂が絶えなくなったことです。

ひょっとすると、あるいはその両方が原因かもしれませんが、いずれにせよ二人は離婚。そして小澤征爾は離婚後の1968年、白系ロシア人貴族のハーフでモデルの入江美樹と再婚します。
3-2.再婚

入江美樹はロシアと日本人のハーフ(父親がロシア人のヴィタリー・ペトロヴィチ・イリーン、母親が日本人の料理研究家・入江麻木)で、本名はヴィラ・ヴィダリエヴナ・イリーナ。1968年、小澤征爾との結婚以降は小澤ヴェラと名乗ります。職業はファッションモデル兼デザイナー。彼女の手掛けたブランドはレディスブランド「ザ・ギンザ・バイ・ミズ・ヴェラ」。

高校時代に母親がファッション雑誌「装苑」のモデル募集に応募して1位に選ばれモデルデビュー。その後、第1回国際ファッション大会で1位入賞、日本テレビ系『シャボン玉ホリデー』にマスコットガールとして出演を果たすと、第16回NHK紅白歌合戦の審査委員にも抜擢されます。また、女優としても活躍しており、1966年には勅使河原宏監督の映画『他人の顔』に出演します。

そんな美人と再婚した小澤征爾ですが、当時の世評は「美女と野獣婚」。

これにはセイジオザワフェスティバルが開催される松本市民として怒りを覚える次第ですが、「美女と野獣」の野獣は、魔法がかかった仮の姿。本来はスマートな王子であることを鑑みれば、まあ悪い表現ではないのかもしれません。

二人の結婚生活は今も続いており、二人の子宝に恵まれます。

そして、これは全くの余談ですが、歌手の吉田拓郎は入江美樹の大ファンだったことから「入江剣」というペンネームを名乗っています(実際、酒井法子へ「幸福なんてほしくない」を提供しています)。

 

4.子供

小澤征爾には2人の子供がいます。
1971年誕生の長女・小澤征良(せいら)と、1974年誕生の長男・小澤征悦(ゆきよし)です。

長女の小澤征良は12月29日生まれで、出身地はサンフランシスコ。
Seiraという名前は、父の名のSeijiと母の名のVeraを継ぎ足して命名されたそうです。メトロポリタン歌劇場で演出を学んだり、日本ではテレビ番組のリポーターを務めたり、最近ではエッセイストとしての活躍が顕著です。

2002年出版の「終わらない夏」はベストセラーとなりとても話題になりましたが、「往復書簡 いま、どこですか?」は、親友である杏と共同で書いたエッセーで、北海道を旅したときの手紙です。

一方、長男の小澤征悦は9月6日生まれで、出身地はカリフォルニア州。
テレビ・映画・舞台と幅広い活動をこなす俳優です。ドラマ「ハンチョウ~警視庁安積班~」や映画「脳男」でご覧になった方も多いのではないでしょうか。

身長は183センチあり、小澤征爾と同じくモテ男として有名で、姉・小澤征良の親友の杏やMISIAとの2股疑惑、滝川クリステルとの交際&破局などは記憶に新しいことでしょう。
また、気質も父・小澤征爾と似ているらしく、二人はまるで親友のような関係とも言われています。

二人は小澤征爾の子供ですが、小澤征爾の父・開作から見れば、小沢健二とともに孫にあたります。つまり、小澤征爾小沢健二の叔父、小澤征良と小澤征悦は従兄弟となります。

 

5.齋藤秀雄との関係

サイトウ・キネン・オーケストラは1984年、恩師である齋藤秀雄の10周忌にあたり、小澤征爾と、同じく斎藤秀雄の門下生で指揮者の秋山和慶の呼びかけにより、桐朋学園斎藤秀雄メモリアル・オーケストラ演奏会を開催したことから始まります。世界各地で活躍する齋藤の教え子たちが集まっての演奏でしたが、設立当初は無給出演でした。

それほどまで小澤征爾は斎藤秀雄を慕っていたのですが、齋藤もまた小澤征爾を随分可愛がっていたようです。というのも、高校時代の小澤征爾は、齋藤秀雄から指揮棒で叩かれたりスコアを投げつけられたりするなどの体罰を日常的に受けていたらしいのですが、ある日のことです。あまりのストレスから自宅の本箱のガラス扉を拳で殴りつけ、大怪我したそうなのです。

いずれにせよ、深い師弟関係にあったことは間違いないのですが、実は二人は遠戚関係にもありました。

小澤征爾の母・小澤さくらは若松孝太と春代の娘で、春代は大津義一郎となおの娘、大津義一郎は大津隆三郎の息子です。
一方、大津隆三郎の娘・久は前島美孝と結婚して娘・とらを生み、彼女は英語学者・齋藤秀三郎と結婚して齋藤秀雄を生みます。

二人はまったくの赤の他人ではなかったのです。
参考:http://kingendaikeizu.net/ozawaseizi.htm

 

6.まとめ

さすが世界の小澤征爾です。
血縁者は政界から経済界へと幅広く、その一族は華々しい。兄弟も皆文化人として活躍され、自分の子供二人もまた、華やかな場で活躍されています。そして驚きなのが、師事していた斎藤秀雄と遠戚だったことです。これを知った時、小澤征爾はどんな心境だったのでしょうか。

しかし、そこまでの一族であり、大スターである小澤征爾ですが、その地位に至るまでに何の苦労もなかったのかといえば、どうやらそうではないようです。
名立たるコンクールで優勝を収めた後、師事していたバーンスタインと共に凱旋帰国した際の小澤征爾は、すでに国内ではスターでした。しかしそんなスターでも、小澤征爾は自分が指揮する楽曲の譜面も買えないほど経済的に困窮していたそうです。音楽の道とはそれほどまでに険しいものなのです。

そこで次回は、セイジオザワ・フェスティバルの開催地であり、オーディオ買取屋のある松本市から、小澤征爾の歩みと受賞歴をお届けします。
また近い日におめにかかります。
それまで皆様お元気で。

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