今日はそんな「モノラルレコード」の時代に人気だったレコードカートリッジについてのお話です。
つまり、超ヴィンテージなカートリッジの話題ですが、その御三家「GE」「ピカリング」「フェアチャイルド」について詳しく見てみようと思います。
1.レコードの歴史・概略
1-1.レコードの起源
レコードは「RECORD」、「記録する」という英語が語源です。世界初のレコード(音声記録システム)は、1857年に誕生しました。発明者はフランスのレオン・スコット。商品名は「フォノトグラフ」です。振動板に豚の毛をつけて煤を塗り、音声を紙の上に記録したものでした。が、このフォノトグラフには再生装置がなく、実用化にはつながりませんでした。
この状況に大きな変化を与えたのが、グレアム・ベルでした。彼が1876年に電話機を発明したことにより、再生の目処が立ち、複数の研究者が再生可能なレコードの発明に取りかかりました。
1-2.世界初のレコードは?
世界初の再生可能なレコードは、エジソンにより発明された「フォノグラフ」です。1877年12月6日のことで、現在では「音の日」として知られています。
フォノグラフの基本原理はのちのレコードとほぼ同じです。直径8cmの錫箔を貼った真鍮の円筒に、針で音溝を記録するというものでした。ただ、このフォノグラフは、当時はまだ音楽用途として想定されておらず、開発者のエジソンも盲人補助のための機器として考案しています。
ちなみに、このフォノグラフは、日本には「蓄音機」と訳されました。
一方、ドイツでもオーディオ史に残る大きな変革が起きていました。
ドイツといえば、アメリカと双璧を成すと言っても過言ではないオーディオ大国ですが、1887年、エミール・ベルリナーが「グラモフォン」を発表。この時すでに、エジソンとは異なり現在のアナログレコードと同じ横振動の仕様でしたが、まだエジソンと同じ円筒の側面に記録が刻まれる方式でした。そのため、録音を数多く複製することは困難でしたが、翌1888年には円盤方式の改良型グラモフォンを発明。これにより、グーテンベルグの活版印刷で本が飛躍的に普及したように、録音を多数複製して「出版」するという新しい事業が成立し、今日まで続くレコード文化が始まりました。いえ、CDやDVD、BDの形状に鑑みると、現在主流の円盤型メディアの歴史はこの時に始まったと言えるでしょう。
1-3.当時のカートリッジ御三家「GE」「ピカリング」「フェアチャイルド」
レコードが発売されたのは、レコードが発明されてから半世紀以上経ってからの1948年6月21日です。アメリカCBSによって販売が始まりました。それ以前のレコードと同等サイズで格段に長時間再生できたため、「Long Play」を略して「LP」と呼ばれました。
この LPの誕生により、オーディオ産業は凄まじい勢いで発達し始めました。そして、ステレオ化によりハィフィデリティ・オーディオが爆発します。
ただ、モノラルレコード全盛の頃は、カートリッジは三社がそれぞれ製品を競い合っていました。いわゆるヴィンテージ・カートリッジの御三家「GE(ゼネラルエレクトリック)」「ピカリング」「フェアチャイルド」です。
早速、それぞれを見てみましょう。
2.GE(ゼネラルエレクトリック)
2-1.ゼネラルエレクトリックの概要
ゼネラル・エレクトリック(General Electric Company)は、アメリカを主な拠点とする企業です。起源は1878年、発明王トーマス・エジソンがアメリカで新しい実験室を開き、同年にエジソン電気照明会社として設立したところによります。しかし、1889年、いわゆる電流戦争が勃発し、企業の吸収合併が横行。新たにエジソン・ゼネラル・エレクトリック・カンパニーが設立されます。
が、1892年、今度はドレクセル・モルガン&カンパニーの助けもあってトムソン・ヒューストン・カンパニー(Thomson-Houston Electric Company )と合併。エジソンの名前も外され、「ゼネラル・エレクトリック」が誕生します。
現在では、航空機エンジン、医療機器、産業用ソフトウェア、各種センサ、鉄道機器、発電および送電機器(火力発電用ガスタービン、モーター、原子炉)、水処理機器、化学プロセス、鉱山機械、石油・ガス(油田サービス、天然ガス採掘機器、海洋掘削)、家庭用電化製品(LED照明、スマートメーター)、金融事業(法人向けファイナンス、不動産ファイナンス、各種リース、銀行、信販)など幅広い分野でビジネスを行っており、欧米と中国において特許取得数が世界一の多国籍コングロマリット企業です。
2-2.VR型
GEが開発したカートリッジにおいて、当時高い人気を誇ったのが「VR型」です。一般的には「バリレラ」と呼ばれていますが、正式には「バリアブル・リラクタンス型(Variable Reluctance)」です。
GEのバリレラをイメージするなら、今日のシュアーが適任です。量産しやすく特性が安定していて、高性能。ですから、GEのバリレラは当時、家庭用の高級機からマニア層までとても広く普及しました。また、針の交換もシュアーとの類似点の一つで、当時から先端部を差し替えるだけという簡便さを誇りました。
特に、LPが誕生した直後だったことも高い人気を誇った要因の一つでしょう。
LP以前は78回転型のSPレコードが一般家庭で最も普及していました。ですから、カートリッジ上部の小さなツマミを回すだけでLP用とSP用の針の切り替えが可能なターンオーバー式の針交換方式は、大変喜ばれました。
このように、①針交換も含めて扱いが容易 ②構造もさほどデリケートではない ③にも関わらず、音質は良い というメリットから、GEのバリレラはアメリカだけでなく、世界中で広く愛用されたカートリッジとなりました。
ちなみに、この「バリアブル・リラクタンス」はGEが付けた名称ですが、のちにADCが開発したインデュースド・マグネット型( induced magnet cartridge。略して「IM型」)とは同じ原理です。つまり、GEのVR型は、後のIM型の源流に相当すると言っても間違いではありません。
2-3.代表的なモノラルカートリッジ
GEバリレラのモノラルカートリッジは、大きく次の3モデルに分類できます。
「RPX-040シリーズ(シングルバトン)」
「RPX-050シリーズ(トリプルプレイ/シングル)」
「VRIIシリーズ(トリプルプレイ/シングル)」
2-3-1.RPX-040シリーズ
1940年代ごろに発売されたカートリッジです。
シングルバトンタイプです。
2-3-2.RPX-050シリーズ
1950年代前半に発売されたカートリッジです。
カートリッジに2本針の装着が可能なトリプルプレイタイプです。
一方に78回転のSP盤用の3mil針を、もう一方に1milあるいは0.7milのLP/EP用の針を取り付けることにより、SP・LP・EPの3タイプのレコード再生が可能なことから「トリプルプレイ」と呼ばれるようになりました。
2-3-3.VRIIシリーズ
1950年代後半に発売されたカートリッジです。
トリプルプレイタイプです。
3.ピカリング
3-1.ピカリングの概要
ピカリング(PICKERING)は1946年、ニューヨークでノーマン・ピカリングにより設立されたカートリッジメーカーです。一時はシュアーと並んでアメリカのカートリッジメーカーの名門と呼ばれ、全米一のキャリアを誇ったこともあり、最も有名なカートリッジの量産メーカーの一つでした。
LP時期からすでに名は売れており、ステレオが主流になってからは、普及モデルから徐々に高級モデルに発展させました。音色は、伝統的に明快で力強く、やや乾いたストレートな音を守っているのが特長です。
独自のマグネティック型発電方式で注目され、1958年にはそのステレオ版を発表。その後はダスタマティック・ブラシとアース付スタイラスアッセンブリーを開発し、MM型、MI型を加え、1973年には超高域再生特性が要求されるCD4用4チャンネルカートリッジを海外で初めて発売開始。高度な針先形状と振動系などの技術を備えるメーカーとして、世界中から高い関心を集めました。
一時は、製品の充実と品種の多様性に富んでいる一方、はっきりとその品種はランク分けしてあったことから、ユーザーにとても人気のあるメーカーでした。が、現在はピカリングはカートリッジの生産から撤退しています。
また、1970年代から日本の代理店だった「東志株式会社」でも、当初は一部のカートリッジ及び全ての交換針に関して一定量の製造を続けることで合意していたそうですが、突然ピカリングから生産打ち切りの告知があったらしく、2008年からカートリッジの取り扱いは中止しています。ただし、ピカリングブランドのヘッドシェル、シュルリード、スタイラスクリーナーなどはライセンス契約での製造販売であるらしく、現在も引き続き販売が継続されています。
3-2.MI型
国際的コングロマリット企業として成長を続けてきたGEという企業と比べれば、ピカリングはとても規模の小さいメーカーでした。しかし、昔はピックアップ専門メーカーとして老舗中の老舗で、モノラル時代からステレオ初期にかけて、ピカリングはMI型の開発に注力していました。MI型は「ムービング・アイアン型」の略で、ピックアップの構造としてはSP時代の非常に古くからあるタイプを、LP用に精密化したものです。当時の批評は「GEに比べ能率が良く(実際、出力は数倍以上も大きかった)、その上、音質が鮮明で華麗」というものでした。
さらに、このMI型はとても人気があったこともあり、ピカリングは独自のトーンアームを開発。それはアーム支持部に水平回転軸のみを設け、先端部に上下方向にスイングするカートリッジ取付け部をもつユニークなものでした。これは「ピカリング型」と呼ばれ、LP時代にはオイルダンプ型と人気を二分する存在でした。
ちなみに、このピカリング型アームの原理(質量分離型の原理)は、日本のダイナベクターが受け継ぎ、発展させました。
ダイナベクター株式会社は昭和53年に東京で設立され、創立以来一貫して、マニアライクなMCカートリッジとトーンアームの製造を続けている企業です。
3-3.スタントンとの関係
スタントンはピカリングと同系の会社で、ピカリングの技術を土台とした安定志向の兄弟ブランドです。
本来は業務用のみのカートリッジを製造する専門的プロユースメーカーでしたが、そのブランドイメージが高くなったことから高級オーディオマニアから注目を浴び、コンシューマーも手に入れることができるようになりました。
創設者は、W・O・スタントン。ステレオLP時代となった1961年当時、ピカリングの社長だった彼が生みの親です。当時、ピカリングは一点支持型トーンアームの先端にカートリッジを固定した、未来志向型のステレオユニポイズを発表して注目を浴びていました。そんな折、ピカリングのトップランクモデルに特別にスタントンのブランドを与え、このブランドは生まれました。
スタントンの評価を最初に高めたのは、1969年発表のMI型681EEでした。その後、500、600シリーズが加わり、また、ディスクにブラシを接触させ、振動系の安定度を向上させるダスタマティックが注目されました。
4.フェアチャイルド
4-1.フェアチャイルド社
フェアチャイルド社の創設者はシャーマン・フェアチャイルド(Sherman Mills Fairchild)。彼の父「ジョージ・W・フェアチャイルド」はIBMの共同設立者で、IBM創業の1911年当時に社長を、その後は同社の初代会長を務めました。そうした家柄だったこともあり、シャーマン・フェアチャイルドはIBMの個人筆頭株主でした。
生まれは1896年、ニューヨーク州。1920年から70社以上の企業を設立し、中でも航空機の開発で数々の名機を開発したフェアチャイルドは、空中撮影用の機体FC-1(FC-2)から始まり、第二次世界大戦中は練習機PT-19や輸送機を生産。1950年代から60年代はフォッカーのフレンドシップをライセンス生産。1965年にP-47、F105などを開発したリパブリック・アビエーションを買収すると、1996年にはドイツDASA(ダイムラークライスラー・アエロスペース)傘下のドルニエを買収し、「フェアチャイルド・ドルニエ」に社名変更。しかし、業績不振で2002年に経営破綻しました。そして、2003年に部門ごとに解体され、旧フェアチャイルド部門はM7 Aerospaceが買収しました。
一方、シャーマン・フェアチャイルドはフェアチャイルドセミコンダクター(Fairchild Semiconductor International, Inc.)も設立しています。1957年の創立当時は、シャーマン・フェアチャイルドは経営の第一線を退いていましたが、ロバート・ノイスの熱のこもった半導体に関するプレゼンに出資を即決し、設立を決めたと言われています。
ちなみに、ロバート・ノイスは後にインテルを設立する人物で、スティーブ・ジョブズなどの憧れの人物です。
フェアチャイルドセミコンダクターは、世界初の半導体集積回路の商業生産を開始した企業ですが、2016年にオン・セミコンダクターによって買収されました。
4-2.MC型
今でこそ、オーディオ業界ではヴィンテージものとしてしか名を聞かなくなったフェアチャイルドですが、モノラル時代には精密なMC型カートリッジを生産し、最高級の製品メーカーとして君臨していました。
しかし、当時の管球アンプの技術では、よほどの高級機でなくてはハムなどのノイズの妨害で使いこなせるものではありませんでした。当然、高級なアンプを購入し、あるいは組み立てることができるほどの造形の深さが求められたわけですが、それでも正しく使いこなしたフェアチャイルドの音は素晴らしく、音域が広くて歪みが少なく、自然な迫力と繊細さのバランスがとても巧みでした。その魅力は会社がなくなった今も変わらないようで、多くのファンがフェアチャイルドのカートリッジを求めています。
4-3.Fairchild660/670の開発者「レイン・ナーマ」
「Fairchild 660/670」は、伝説とも言われているアナログ・コンプレッサー/リミッターの名機です。Universal Audio、Waves、IK Multimediaなど、大抵のプラグイン・メーカーがそのエミュレート版をリリースし、世界中のあらゆる音楽クリエイターに愛され続けているプラグインの「元」となった実機です。
真空管20個、トランスフォーマー11個を内部に搭載し、重さはおよそ29kg。20dBを超えてもクリーンな信号を保つ余裕のヘッドルームを持つ一方で、途方もないアナログ回路がサウンドに与える独特の温かさ、極めて早いアタックタイムとリリースタイムが特徴です。市場に出回っている数は1,000台未満とも噂されており、その稀少性が需要に拍車をかけた結果、近年での市場取引価格は30,000ドルを下らないとも言われています。
Fairchild 660はアビーロード・スタジオで多用され、ビートルズの録音に至ってはほぼ全てで使用されています。また、1964年「Hard Day’s Night(旧邦題「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」)」以降については、大抵のボーカルはFairchildを経由し、リンゴのドラムの音作りにも重要な位置を占めました。そして、これらビートルズの作品に使用された実績が、その後世界中のスタジオがFairchaildを導入するきっかけとなり、結果的に「世界でもっとも崇められコピーされたコンプレッサー」と位置付けられることとなりました。
そんな名機を開発したのが、レイン・ナーマです。1923年、バルト海に面するエストニアで生まれたエストニア人です。
彼は10代の半ばに亡命を図ります。そして、いくつもの国境を越えた後、ある米軍難民キャンプのひとつに流れ着きます。そこでは、キャンプに集う人々に、米兵がこう問いかけていたそうです。
「この中で英語の話せる者はいないか?ラジオについて知識が深い者はいないか?」
英語はレインにとって第三外国語でしたが、電子工学に関心があり、高校生の時すでにラジオを自作するなどしていました。そこで、レインは恐る恐る挙手したわけですが、するとそのまま米軍に従事することとなりました。
その時の米軍が、通称「ザ・ビッグ・レッド・ワン」、米国陸軍第一歩兵師団でした。そして、終戦後の「ニュルンベルグ裁判」と重要な関係があったこの隊との繋がりにより、レインはその後の「ナチス医師裁判」などを含む一連の「ニュルンベルグ継続裁判」に至るまで、裁判放送に関わる機器の調整やメンテナンスを約4年間、担当し続けます。
こうしてアメリカとの関わりができたレインは、ゴッサム・レコーディングを経て独立し、ニュージャージー州で「レイン・ナーマ・オーディオ・デベロップメント」を立ち上げます。そして、ある時のことです。電話を応答サービスに設定し、家族とフロリダへ休暇に出かけると、ビーチでくつろいでいたレインにベルボーイが「急ぎの要件です」と走って言付けに来ました。
ホテルに戻って受話器を取ると、その男こそ「シェアマン・フェアチャイルド」で、いきなり「チーフ・エンジニアをやってみないか」と誘われます。
この時点で二人は会ったことすらなかったのですが、レインはその申し出に二つ返事で了承。そして開発したのが、この名機「Fairchild660/670」でした。
5.まとめ
モノラル時代のカートリッジ御三家「GE」「ピカリング」「フェアチャイルド」。
そのいずれも、今となっては入手困難なメーカーですが、当時は爆発的な人気を誇りました。
中でもGEのVR型、ピカリングのMI型、フェアチャイルドのMC型は絶大でした。
VR型はGEが開発したカートリッジで、一般的には「バリレラ」と呼ばれているカートリッジです。正式名称は「バリアブル・リラクタンス型(Variable Reluctance)」で、今でもコアなファンが多数います。
また、ピカリングのMI型は非常に好評だったこともあり、アーム支持部に水平回転軸のみを設け、先端部に上下方向にスイングするカートリッジ取付け部をもつユニークなアイテムも開発しています。これは「ピカリング型」と呼ばれ、LP時代にはオイルダンプ型と人気を二分する存在でした。
そして、今でこそオーディオ業界ではあまりその名を耳にしなくなったフェアチャイルドですが、モノラル時代には精密なMC型カートリッジを生産し、最高級の製品メーカーとして君臨していました。
今は昔となったカートリッジ御三家「GE」「ピカリング」「フェアチャイルド」。
それでもモノラル時代に活躍したカートリッジだけに、モノラルを聴くならこうしたメーカーのカートリッジを使って楽しむのも、オーディオの醍醐味ではないでしょうか。